読ませる文章=おもてなし?
最近は、文章力について考えることが多くなっています。
自分が書く文章の種類には、個人向けのFacebookや、本ブログ、何らかの執筆、セミナー資料、支援先や支援機関への報告書、●●への応募などがあります。また、公開予定の他の人の書いた文章を読むことも多くなっています。
自分・他人問わずに共通することは、「他人に読んでもらうことが前提の文章」だということです。
私自身の文章力は、決して高いとは思いませんが、他人の文章をチェックしていると見えるてくることもあります。
私から見た読みにくい文章には、以下のようなものがあります。
- 結論のない、まとまりのない文章
- 簡潔・端的でない文章
- 目次や目的、見出しのない文章
- 区切りのない文章
- 一文が長い文章
- 読点(、)が少ない文章
- 全体的に不要に長い文章
- 関心のないところで、非常に詳しく書かれている文章
- 体言止めの使いどころが、うまくない文章
- 敬体、常体などが、不適切な文章。または混同している文章
- 敬体でも、丁寧語、謙譲語、尊敬語の使い方が不適切な文章。または混在している文章
- 漢字の連続(明日買物行きます、千代田区特産物試食会参加者募集、など)
- 文章につながりがない文章や、文章の改変に失敗した文章
- 誤字・脱字
読みずらい文章は、他人に違和感や不快感を与えることがあります。それは、読者が感じる筆者への信頼・価値の低下、読者の不安感などに繋がることもあります。
私は文章の専門家ではありませんが、他人に読ませる文章というのは、ある意味で「おもてなし」でもあると感じています。
他の人に読んでもらう文章を書く際には、「間違いがないように書く」、「詳細に書く」、「漏れがないように書く」などに囚われやすいと感じます。しかし、その状態の文章では、まだ、自分勝手な文章な状況です。
最後には、「おもてなし」として、客観的な視点を入れるのが、読みずらい文章の削減になると感じます。
他人に書く文章では、「読ませる文章=おもてなし」と考え、文章を書いてみてはいかがでしょうか?
(中小企業診断士 布能弘一)
ソフトウエア開発には、「リファクタリング」という考え方があります。
ソフトウエア開発では、一度作った製品(アプリケーション)に対して、ソースコードといわれる文章を修正して、次のバージョンの製品を作ります。しかし、何度もバージョンアップして、ソースコードを修正していくと、読みずらいソースコードになります。また、最初に書いたソースコードが必ずしも読みやすいとは限りません。ソースコードは、自分だけではなく他人が見て、修正していくことになることも多いです。
現在の「リファクタリング」には、いろいろな意味合いがありますが、根本は「ソースコードの結果を変えることなく、今後、自分もしくは他人がメンテナンスがしやすいように、一度書いたソースコードを見直し、キレイに整理・整頓しましょう。そのことが結果として、作業効率化につながります。」というところにあると考えています。
そして、「業務に沿ったコードを書く時間」と「リファクタリングする時間」を切り分け、その作業の切り替えを「帽子をかぶりなおす」ことを推奨しています。
なんとなく、他人に読ませる文章を書くことに通じるところがありませんか?